40代以上の人には、ちょっと懐かしい記憶のある「都倉俊一」(とくらしゅんいち)

かつてピンクレディーや山口百恵などの楽曲を手がけ、ヒット曲をガンガン飛ばした人気作曲家であります。

そして、時代の流れと共に都倉俊一の名は次第に聞かなくなりましたが…ここ最近、またテレビの画像で見かける様になりましたね。

昔のイケメン作曲家の姿を知っている人でしたら「都倉俊一、今まで何してたんだ?」

なんて思っている方も多いハズ。

そこで今日は、昭和アイドルブーム以降から現在にかけての都倉俊一の様子をお伝えします。


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都倉俊一とは?

そもそも若い人たちにとっては「トクラシュンイチって誰よ?」

ってな感じで、ちょっと聞き覚えのない人かも知れませんね?

 

なので、復習もかねて都倉俊一について説明します。

 

都倉俊一とは、昭和40~50年代に活躍した歌謡曲系の作曲家です。

ピンクレディーとか、山本リンダとか、山口百恵とか、少女隊などいろんな歌手を手がけました。

(ちびまる子ちゃん世代だったら、2~3曲は歌って踊った記憶があるかも)

 

ヒット曲を次々と連発し、レコードの売り上げ枚数は4000万枚に登ります。

おまけにイケメン的なヴィジュアルで、あの当時では「まさに時代の最先端」と言った感じ。

 

1983年からは、活動の拠点をロサンゼルスに移し「シュントクラ」の名でミュージカルのプロデュースや劇場の建設などしています。

 

ただ、1989年には自分が経営していたタレント事務所から南野陽子が独立してしまい、その後倒産…という憂き目を見ていますね。

 

再婚疑惑や家族

都倉俊一は、1974年に歌手の大信田礼子と結婚しています。

一度はフラれつつも猛烈にアタックして、ようやく大信田礼子がOKしてくたようです。

 

しかし、都倉俊一はめっちゃマザコン的な性格だったので、大信田礼子はこれに呆れて二人の結婚生活は4年で終焉。

また、お子さんもいないようです。

 

その後、都倉俊一には再婚説が浮上したりしていましたが…実際にはそういった事はありません。

まぁ、この人は昔からプレイボーイな所があってガールフレンドはいっぱいいるでしょうから、いろんなウワサが立つんです。

 


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甥はJリーガーの都倉賢

「都倉」と聞くと、Jリーガーの都倉賢(コンサドーレ)を思い出す人もいるかも知れませんね。

実は、この二人は親戚関係で「都倉俊一が伯父」で「都倉賢が」という間柄。

 

もうちょっと詳しく言うと、都倉俊一の弟さんの息子が都倉賢、、ってこと。

 

都倉賢もサッカーやらせるにはモッタイナイぐらいのいい男なんで、都倉系の血筋はイケメン家系なのかも知れませんね。

 

現在の活躍

昭和アイドルの時代が過ぎ、また海外で出てしまった都倉俊一

そのため、昔ほど彼の名を聞かなくはなりましたが、今だ現役で活躍中です。

 

昔は作曲の現場でバリバリ働いていましたが、現在は大御所的な立場で音楽協会の顧問とか、評議会の委員なんかをやっています。

 

作曲活動もしているんでしょうが、以前みたいにバリバリのアイドル系じゃないですね。

時代が違いますから。

 

また、昨年(平成17年)NHKの紅白歌合戦では、最後の指揮を務めて話題になりました。

でもこれって、平尾昌晃が死んじゃってその代わりに登場したといワケですから、時の流れを感じるシーンでもあったんです。

 

まとめ

かつては、昭和歌謡界に大旋風を巻き起こした都倉俊一。

そして、時代が過ぎ都倉俊一の影が薄くなったような気がしたんですが…

そうじゃ無かったんですね。

歌謡曲のヒットメーカーを卒業して、業界の指導的な立場に立っていました。

また、奥様と別れてからの再婚疑惑などは、いかにも「モテ男、俊一」らしいウワサ話です。


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